雑記

ボクが出資馬を「自分の馬」と呼ばない理由

 今回はいつもと違って重い内容ですよ、Turfwave525へようこそ!

 以下の文章はあくまでも主観であり、個人的な思想によるものです。誰かに共感して欲しいとは思わないですし、誰かの行動を制限したいという意図もありません。誰かに触発されたからというわけでもなく、長年思い続けてきたことを、ふとこのタイミングで書き記したくなっただけです。あしからず。

 

 さて。自分はこれまでに各クラブ法人にて毎年1頭以上、もう10年以上も競走馬に出資するということを継続しています。走った馬もいればそうでもない馬もいて、収支でいえば完全に赤字。それどころかトータルすると札束レベルで負けてるので、経済的な観点でいえば全く役に立たない趣味を続けてることになります。

 で、昔はそういった馬たちのことを「自分の馬」だとか「愛馬」という表現をしてた時期がありました。「息子や娘のよう」というのは、一口馬主をやる人にとってはぴったりな表現ですし、この趣味についてあまり知らない人に説明するにも的確な説明だと思っています。が、少なくとも競馬に接する場面ではあまり使いたくないなぁと自粛をしています。

 その理由というのは「完全に自分だけのもの」ではないから。クラブ法人の馬であれば、100口なら自分の他に最大で99人、400口ならば399人が同じ馬に出資をして、その動向を見守っていることになります。それを考えると、とても「自分の馬」「うちの馬」とはおこがましくて言う気になれない。口数には関係なく、例え10口だろうと40口だろうと、自分はそう思ってしまうことでしょう。

 自分が選んで出資した馬なのだから、という思いは確実にあります。でも、その1頭はクラブ法人が用意してくれた馬の中の1頭。その馬が無事に産まれて育ち、クラブが多くの馬の中から募集馬として選定してくれたことによって、ようやく自分が選ぶという選択肢が生まれただけのこと。自分が配合したわけでもないし、繁殖牝馬や種牡馬を所有しているだけでもなく、ましてや募集前に馬に起こりうるリスクさえ負うこともなく、リストにピックアップされた馬の中から選んでいるだけ。それだけです。

 レースのローテーションや休養の判断にしてもそう。我々はクラブのサイトで近況を毎週チェックするだけですが、その裏側には生身の馬に日々接して、苦労している多くのスタッフが存在します。1頭のサラブレッドを馴致して調教して入厩までこぎつけ、ゲート試験を通して騎手を選定してレースに挑む。途中でゴネたり暴れたり熱出したりどこか痛めてみたり。それに対処するのは、出資している我々ではなく日々接してくれているスタッフ。彼らがいてくれるからこそ、走る姿を見ることができる。

 このような、ある意味では冷めた見方をしているのは、出資しているジェベルムーサの存在が大きいのかもしれません。「故障しやすいアグネスタキオン産駒だけど、もしかしたら脚元がもってくれて、ひょっとしたら一発あるのではないか」そんな、ある意味で軽はずみな理由から出資を決めて動向を見守ることに。

 しかし、現場のスタッフはそんな軽はずみな思いでは接していなかった。日々脚元を丁寧にケアをし、少しでも不安があれば獣医の資格を持つ大竹調教師だけではなく、遠く離れた外厩の獣医まで呼び寄せてダブルチェック、トリプルチェックで熱心に診てくれる。調教師が「ここに出したい」と願ったレースであったとしても、少しの不安でもあれば大事に至る前に取消をして、次に切り替える。ここまで無事にレースを使って結果を出してもらっているのは、間違いなく大竹調教師をはじめとした現場スタッフの努力のたまものです。こうした姿勢を見ると、とてもとても「自分の馬」だなんて口に出したくない。

 それに今では、自分や他の出資者だけではなく多くのファンが見守ってくれています。まぁ正直困ってしまうような意見を聞くこともありますけども^^; それでも多くの方に注目されて期待をされるようになった。もうそこまでくると否応なしに「みんなの馬」ですからね。多くのファンの願いを乗せて、さらに大きな夢を叶えて欲しいと思います。

 

 そんなわけでここまではクラブ法人の馬に絡めて理由を話してきたわけですが、もう1つ。それは「引退後の面倒を見る甲斐性がないから」というのも大きな理由です。

 競走馬生活を終えた馬の処遇については、いろいろと議論になることもあります。完全に誰かに任せてしまうというのが大半でしょうが、選択肢としては「気になる馬を自分で引き取る」ということも出来るわけです。無償にしろ有償にしろ、権利を譲渡してもらい、自分の管理下におく。いわゆる養老牧場であれば月10万円以下で依頼できるところもありますし、さらに倍ぐらい出せば種牡馬や繁殖牝馬としての道もあるでしょう。広い設備を自己所有していなくても、そのような選択肢はあるわけです。しかし、少なくとも自分にそれはできない。であるならば、引退後のことについて口を出す権利もないわけで。

 

 今を遡ること2002年8月。自分は益田競馬場に立っていました。翌日に競馬場の廃止をひかえ、少しでも現存する競馬場の風景を見ておきたいと場内を歩き回り、内馬場で見た光景。それは厩舎からきた多くの馬が○○乗馬苑というトラックに次々と乗せられていく風景。トラックに乗った馬が壁を蹴り上げる音は今でも忘れられませんし、それを見守るある人の言葉。

 「この馬たち。10万でも20万でも(出せば)、好きな馬を持って帰れるぞ」

 競馬場自体は翌日まで存在しても、さすがに2日連続で走る馬はいませんから、その日出走した馬にとっては競走馬最後の日。一部の馬は福山や九州の競馬場に移りましたが、それ以外の多くの馬は、競馬場とともに競走馬生活を終えることになったわけで。例え1頭だけでも「引き取ります」と言えなかった自分の不甲斐なさ。

 

 ……。

 

 そんな体験がありながらも、今現在に至るまで競馬場に通い、競走馬への出資を続けている理由は自分でもよく分かりません。少額でも競走馬生活を全うすることにつながるからか、あるいは一時的な自己満足か。どれも当てはまる気がしますし、どれも的確ではない気がします。よくわからないまま、馬の一生の一部分に「出資」させてもらっています。

 

 関係者の皆さん、いつもありがとうございます。

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